「自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月とは、いつ」?・・・相続放棄
佐々木 清隆(仮名)氏は、突然、音信不通にして没交渉、生死の程も省みることがなかった故人父の弟から電話をもらった。その内容は、死んだ兄貴の債務を支払うよう債権会社から迫られている。お前たち立派な子供がいるのだから、親の借金は、子供が弁済せよ、というものであった。佐々木清隆氏、この電話の内容に思い当たる節があった。それは、約2年前に清隆氏自身宛にも債権会社から父を相続した者として、約50万円の支払請求を受けていたのである。
清隆氏は、管轄の家庭裁判所で弟と共に相続放棄の申述をして、事なきを得たのであるが、その手続の終わり頃に裁判所の書記官から、「もう、他におられませんね。」と言われたときに、他に兄弟姉妹がいないことの確認かと思い、「いません。」と応えたのだが、叔父のことなど、その時もそれ以来も全く意識の中になく、今日に至っていることを今改めて思い起したのである。さりとて、一旦放棄した相続債務を今更弁済もできず、しかし、叔父の苦悩と怒りもよく分る清隆氏、とりあえず、叔父の住む鹿児島県の離島へ行ってみようと考えた。そして、その時点で、相談をしてきたのである。「行って何をされるのですか。」清隆氏「とにかく、お詫びをしようと思うのです。」、「行ってお詫びしても、何の解決にもなりません。かかる旅費と日数を考えて見なさい。」、清隆氏「そうですね。」それよりも、早急に相続放棄の手続をしましょう。
さて、悪いことに、叔父氏が清隆氏に電話をしてきたのは、債権会社からの二度にわたる通知文を無視して、管轄の裁判所から送られてきた債務の存在を明らかにする書類を見てのことであった。既に債権会社は、二度にわたって、この叔父氏に弁済を督促し、相続放棄したのであれば、それを証明する書類を送られたい旨の文書を送付してきていたのである。二度目の債権会社からの文書を受けたときに叔父氏が清隆氏に連絡をしておれば、何ら問題なく相続放棄が可能であったのだが、しかし、兄弟といえども、約半世紀間没交渉の間柄である。
そのような、叔父氏にとってかなり不利な条件ではあったが、鹿児島離島との間で速達便による数回の書類のやり取りの末、最高裁昭和59年4月27日第二小法廷判決を踏まえた叔父氏の上申書と清隆氏兄弟の上申書を作成、管轄の奈良地裁の支部へ提出。この相続放棄申述書は、受理された。平成18年9月4日のことである。
時は、叔父氏が債権者から、相続債務の存在を知らせる最初の通知文を受取った平成17年10月14日から、おおよそ1年になろうかという頃である。